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1980(昭和55)年、世界プロボクシング。スーパースターたち。

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レナード VS デュラン(第1戦)

引用 ボクシングマガジン
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1980年代、夢のようなスーパースター【レナード・デュラン・ハーンズ・ハグラー】4人が競い合った「黄金のミドル(中量級)」時代、その4人が総当たりで戦った9戦の1試合目。

第1戦は、1980年6月20日、WBCウエルター級、チャンピオンは「シュガー・レイ・レナード」、レナードは、1976年モントリオールオリンピックのライトウエルター級の金メダリスト、デビュー前から注目のスター。1979年11月、「早熟の天才」ウイルフレッド・ベニテスを破りチャンピオンに。この試合は2回目の防衛戦、カナダ・モントリオールのオリンピックスタジアムに4万6千人の観客を集め行われた。

結果は、29才のレジェンド「石の拳・ロベルト・デュラン」が判定勝ち、ライト級に続き2階級制覇に成功する。レナード勝利の予想が多い中、僅差ではあるものの3-0での勝利。試合終了直後から再戦の話題が・・・。この1戦でのレナードの報酬は17億円超とのこと。

デュラン VS レナード(第2戦)「ノー・マス!」

「世紀の再戦」、1980年11月25日、ニューオリンズ・スーパードーム、チャンピオンのデュランのファイトマネーが1,000万ドル(当時21億円)、いかに採算の取れる「夢のカード」だったかという証拠です。(プロモーターはドン・キング)

第2戦は、レナードの徹底した足を使うアウトボクシングに対してデュランが「ノー・マス(もう沢山だ!)」と8Rで試合放棄、TKO負けとなってしまう。試合後、デュランは7,500ドル(当時約160万円)の罰金を課されることになります。

クエバス VS ハーンズ

「黄金のミドル(中量級)」を代表する1人、後にレナードより先に「5冠」を達成する「トーマス・ハーンズ」の世界タイトル初挑戦、相手は、「ホセ・ピピノ・クエバス」、クエバスは挑戦者を次々と病院送りにするジョー・クラッシャー(あご割りパンチ)として11連続(10KO)防衛中、そのクエバスに対し初回から猛攻、2R2’39”にTKOで勝利、21才の新チャンピオンの誕生、この後スパースターの道を歩みます。

マーベラス・マービン・ハグラー VS アラン・ミンター

1980年9月27日、「黄金のミドル(中量級)」4人の中では最後のタイトル獲得。前年11月に圧倒的有利の下馬評の世界初挑戦で引き分けて以来2度目の世界戦、今度は初回からの猛攻で奪い取った。ハグラ-だけは階級を変えずに「ミドル級」に居座った。最強と呼ぶ声も多い。ハグラーのこの時点の戦績は50勝(45KO)2敗2分。

3RTKO ボクシングマガジン

ラリー・ホームズ VS モハメド・アリ

1980年のヘビー級は、「ラリー・ホームズ」が1978年に「ケン・ノートン」から獲得したWBCのタイトルを4回防衛し、獲得以降の防衛回数を「8(すべてKO)」に伸ばします(ホームズは1983年まで17回防衛)。10月には「モハメド・アリ」戦、ただし、この試合は、両者の名試合に数えられるものにはならなかった。アリにとって、「やってはいけなかった試合」と酷評される試合になってしまいました。アリの偉大な名前のおかげでホームズのファイトマネーは跳ね上がったようだが、途中でホームズがストップを望むほどアリの衰えの姿を見るだけだった。

ホームズはアリのスパーリングパートナーからチャンピオンに昇りつめ、ヘビー級のタイトルを長期防衛したものの、「アリのコピー」呼ばわり、ライバルの不在、「黄金のミドル」に人気を奪われ、不人気だったと言われています。実力者だっただけに何とも不運です。

奇跡を起こせなかったアリ ボクシングマガジン

サンチェス VS ダニー・ロペス

WBCフェザー級は、1980年2月2日、21才の「サルバドル・サンチェス」が、3年3か月王座に君臨した【KOキング】「ダニー・ロペス」の9度目の防衛戦で、チャンピオンを翻弄、スピードとクレバーな戦い、パンチはシャープで正確、スタートから毎回のようにポイントを奪い、強打を浴びせ続け13RTKOでタイトルを奪取。6月のリターンマッチでも14RTKOで返り討ちにし、年内中に4回防衛する。翌年に「ウイルフレッド・ゴメス」の挑戦を受けます。そして、・・・。

ウイルフレッド・ゴメス

「ウイルフレッド・ゴメス」はプエルトリコ出身のWBC ジュニアフェザー級チャンピオン。ゴロフキンに並ばれたが、【19回連続KO防衛】という偉大な記録を保有。「バズーカ砲」「KOキング」と呼ばれる史上最高のハードパンチャーの一人。

1980年は、ノンタイトル戦1回と防衛戦3回の計4試合をもちろんすべてKOで勝利。この年の年末で防衛回数は「13回」。翌年、階級を上げ、フェザー級の「サルバドル・サンチェス」に挑戦します。

1980年、他のチャンピオン。アレクシス・アルゲリヨ

リングの貴公子「アレクシス・アルゲリヨ」、日本人とも多数対戦した「エウセビオ・ペドロサ」、他にも、「サムエル・セラノ」、「アントニオ・セルバンテス」など、「昭和40年生まれ男」の15才時代、当時の情報収集は毎月毎月のボクシング雑誌、発行日が楽しみの日々でした。

ではまた更新します。今回は以上です。