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1981(昭和56)年、日本のプロボクシング。     「具志堅用高」ついに敗れる。最後の試合。

ボクシング
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盛者必衰の理、「具志堅用高」王座陥落。3月8日。

あの具志堅に負ける日が来るとは!「昭和40年生まれ男」の私がボクシングに本格的にはまったのは14才、1979年の秋です。その前からもボクシングの世界戦はテレビで観ていました。具志堅戦はいつも早く終わり、その試合や過去のKOシーンを繰り返し観ていた覚えがあります。具志堅は強く負けない人という印象です。その具志堅が負けてしまった。前回の防衛戦も怪しかった。でも今度は期待に応えてくれるはずだと。最後の試合の具志堅、前半はパンチをよく当て今回は行けそうかと思いながらも、挑戦者は打たれても打たれても前に出てくる。7回あたりからパンチをもらい、8回には腰を落としダウンを奪われ、9回はやられっぱなし、いつもと違う具志堅を見るのがつらく、テレビの前で立ち上がって必死に応援したことを思い出します。12R最後の瞬間あれだけ打たれても立ってる姿に感動し、タオルを投げ入れられた瞬間には何故かホッとしたような気がします。とにかく、負けてしまった。チャンピオンではなくなってしまいました。

13回目の防衛戦での大苦戦とこの新チャンピオンが1度も防衛できずに敗退することから、相性があわなかったのではないかと感じます。「グー」はいつまでも「パー」には勝てず、相手が違えばまた勝てたはず、25才の実力と経験を兼ね備えたスーパースターの姿を二度とリングで観ることができなくなってしまうとは、その時には考えもしなかった。まさか、数十年後に「お笑いタレント風」でテレビで大活躍することなど想像もできませんでした。いまでも大好きで応援しております。

4年7か月ぶり、世界チャンピオン「0」に。

3月に具志堅が負けた後、4月には「上原康恒」、5月には「大熊正二」が続けて防衛失敗、具志堅がタイトルを獲得する前の日に「ロイヤル小林」がWBCジュニアフェザー級のチャンピオンになって以来、4年7か月ぶりに日本人の世界チャンピオンがいなくなりました。具志堅の敗退に続き寂しい日となります。上原は、防衛回数1回、ベルトを奪った相手「サムエル・セラノ」とのリターンマッチに敗れて引退します。大熊は3回防衛後4回目の防衛戦で敗退、翌年「渡辺二郎」のWBAジュニアバンタムに挑戦しますが敗れ引退、生涯成績は、49戦38勝(20KO)10敗1分、世界挑戦8回、世界戦8回の素晴らしい戦績です。

0にはなりましたが、

1981年の新チャンピオン。

11月にアメリカニューヨーク州で「三原正」がWBAジュニアミドル級チャンピオンとなる。このタイトルは6月に「シュガー・レイ・レナード」が「アユブ・カルレ」を破り2階級制覇を達成した後に返上し空位となっていたもの。「アユブ・カルレ」は1979年10月に工藤政志からタイトルを奪い5回目の防衛戦でした。

12月には、具志堅の所属した「協栄ジム」の後輩「トカちゃん」こと「渡嘉敷勝男」が具志堅の持っていたWBAジュニアフライ級のタイトルを奪い返してくれました。ただし、相手は具志堅を倒した「ペドロ・フローレス」ではなく、フローレスの初防衛戦の相手「金煥珍」でした。「トカちゃん」は畑山と竹原と3人でYouTubeでチャンネル持って頑張ってます。おススメです。

1981年の世界挑戦。

日時挑戦者タイトルチャンピオン
14.5村田英次郎(金子)引分WBAバンタムジェフ・チャンドラー(アメリカ)
24.22渡辺二郎(大阪帝拳)15R判定WBC J・バンタム金喆鎬(韓国)
39.22ハリケーン照(石川)KO15R2’02”WBCバンタムルペ・ピントール(メキシコ)
411.18ジャッカル丸山(国際)TKO9R1’12”WBC J・バンタム金喆鎬(韓国)
512.10村田英次郎(金子)KO10R1’54”WBAバンタムジェフ・チャンドラー(アメリカ)
612.10友成光(新日本木村)TKO12R1’10”WBA J・ライトサムエル・セラノ(プエルトリコ)
挑戦失敗のみ(タイトル獲得・防衛戦は除く)

村田英次郎、2回目の世界挑戦も引き分け!誰しもが次は大丈夫と思っていましたが、12月、チャンドラーとの再戦ではKO負け、翌年3度目の対戦!

この年も海外では「黄金のミドル(中量級)」など、大盛り上がりです。

ではまた更新します。今回は以上です。