1982年は、WBAジュニアミドル級の「三原正」、WBAジュニアフライ級の「渡嘉敷勝男」、2人の世界チャンピオンで始まります。
2月、「三原正」88日で敗れる。
前年11月にアメリカで、空位だったWBAジュニアミドル級の王座決定戦で判定勝ちし手にしたタイトルを88日後には手放します。22歳の若い黒人ボクサーの容赦のないパンチを次々に叩きつけられ5Rにダウン、6Rには3度倒されてのKO負け。完敗でした。
「トカちゃん」は3度防衛成功。
12月にWBAジュニアフライ級のタイトルを奪取した「渡嘉敷勝男」は無事に守り切ります。具志堅の所属した「協栄ジム」の後輩にあたる渡嘉敷は、会長から具志堅の「カンムリワシ」に対し「ヤンバルクイナ」というキャッチフレーズを命名されます。
防衛回数 | 試合日時 | 結果 | 対戦相手 | 試合会場 |
1 | 4.4 | 判定 | ルベ・マデラ(メキシコ) | 宮城県スポーツセンター |
2 | 7.7 | KO8R2’35” | 伊波政春(東海カワイ) | 蔵前国技館 |
3 | 10.10 | 判定 | 金 成南(韓国) | 後楽園ホール |
「渡辺二郎」、「友利正」、新世界チャンピオン誕生。
1982年4月8日、「渡辺二郎」がWBAジュニアバンタム級のタイトルを奪取。年内に2度防衛し、防衛回数をさらに積み重ねていきます。
防衛回数 | 試合日時 | 結果 | 対戦相手 | 試合会場 |
1 | 7.29 | TKO9R | グスタボ・バリャス(アルゼンチン) | 大阪府立体育館 |
2 | 11.11 | TKO12R1’46” | 大熊正二(新日本木村) | 浜松市体育館 |
その5日後、「友利正」がWBCジュニアフライ級を獲得、ジュニアフライ級は日本人で独占することになります。が、残念ながら、11月に日本人の天敵「イラリオ・サパタ」にTKO負けしタイトルを失います。
浪速のロッキー「赤井英和」。
現在、テレビのバラエティーや映画・ドラマでの俳優などで大活躍の「赤井英和」、ボクサー時代にはもっと派手で大注目、大活躍でした。赤井が引退するのは、現役最終戦の「大和田正春」戦で7RでのKO負けの後に意識不明に。命の危険もあった重篤な症状であったが何とか無事に回復。ボクサー復帰も検討したらしいが医者からの引退勧告で断念。

高校時代からボクシングを始め、大学時代にはオリンピックを目指すが届かずに21才学生のままプロデビュー。デビュー戦から12試合連続KO勝ちは当時の新記録、ノンタイトル戦でもテレビ中継されるほど「浪速のロッキー」として大人気、大注目されていました。プロ戦績21戦19勝(16KO)2敗、2敗は1983年7月の世界挑戦失敗と最後の試合です。
1982年の世界挑戦。
日時 | 挑戦者 | 結果 | タイトル | チャンピオン | |
1 | 2.10 | 石井幸喜(日東) | KO8R0’47” | WBC J・バンタム | 金喆鎬(韓国) |
2 | 7.4 | 亀田昭雄(協栄) | TKO6R1’44″ | WBA J・ウエルター | アーロン・プライヤー(アメリカ) |
他に、「伊波政春」が渡嘉敷に、「大熊正二」が渡辺二郎に挑戦。
ではまた更新します。今回は以上です。