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1980年代【黄金のミドル(中量級)】の周辺②「早熟の天才・ウイルフレド・ベニテス」後編  

ボクシング
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1980年代のボクシングは、ヘビー級ではなく、中量級にスーパースターが集中し、【黄金のミドル】と呼ばれる最盛時代、中でも「ハグラー・デュラン・レナード・ハーンズ」の4人は「ビッグ4」と呼ばれる超スーパースターでした。今回の特集は、この「ビッグ4」ではなくその周辺について探っております。
こちらは「ウイルフレド・ベニテス」の後編です。前編は下記リンクから移動願います。

1980年代【黄金のミドル(中量級)】の周辺⓪

1980年代【黄金のミドル(中量級)】の周辺①「ウイルフレド・ベニテス」前編

ボクシングマガジン

VS「ロベルト・デユラン」(J・ミドル2度目の防衛戦)

WBC世界ジュニアミドル級、2回目の防衛戦の相手は「石の拳・ロベルト・デュラン」、この試合までの戦績は76戦74勝(55KO)2敗、ライト級・ウエルター級の2階級を制覇し3階級目のタイトルの挑戦。23歳のベニテスに対し、30歳を過ぎたデュランには往年のパワーが不足し、終始ベニテスのペースで試合終了、デュランは完敗を認め「引退」もほのめかしたが、ご存知の通り、まだまだ現役を続行。ベニテスには、「ハグラー」との対戦、「レナード」との再戦が切望された。ちなみにプロモーターは「ドン・キング」。実現していたらもの凄いファイトマネーになったことでしょう。

1982年1月30日
WBC世界ジュニアミドル級タイトルマッチ■王座防衛②
○15R判定 VS ロベルト・デュラン(パナマ)

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VS「トーマス・ハーンズ」(J・ミドル3度目の防衛戦)

この試合は1月のデュラン戦以来、この年2試合め。
ベニテスの3度目の防衛戦の相手は、「トーマス・ハーンズ」、ヒットマン(殺し屋)とあだ名される見るからに怖そうなボクサー。

「トーマス・ハーンズ」ははじめの一歩「間柴了」のモデル。

マンガ「はじめの一歩」の「間柴了」、フリッカージャブの使い手でガラスのジョーを持つ登場人物。ハーンズの完コピです。

9回、ベニテスの左フックがハーンズのあごに炸裂!ダウンを奪う。

1982年12月3日
WBC世界ジュニアミドル級タイトルマッチ■王座陥落
●15R判定 VS トーマス・ハーンズ(アメリカ)

5人めになれなかった男

ベニテスは、「ビッグ4」たちに匹敵する実績がありながら、「5人目」になれませんでした。レナード・デュラン・ハーンズと対戦しながら、ハグラーとの対戦が無かったためと言われています。「ハグラーVSベニテス」に向けての動きはあったようですが実現は叶わなかった。

パンチドランカー。

ハーンズ戦での王座陥落後はビッグファイトは無く15戦9勝6敗(1986年末から1990年3月までの戦歴無し)、1990年9月の敗戦がプロ生活の最終戦となりました。現役終盤の頃には「パンチドランカー」の重い症状があり、引退後には精神も肉体も廃人同然の状態で家族の介護の元、静かに暮らしているそうです。1958年(昭和33年)生まれですのでまだ60代前半の年齢です。
ウイルフレド・ベニテス、
「早熟の天才」「バイブル・オブ・ボクシング(ボクシングの教科書)」
通算成績62戦53勝8敗1引分け。