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1980年代「黄金のミドル(中量級)」の周辺。⑥軽量級のスーパーチャンピオン達「KOキング、ウイルフレド・ゴメス」

ボクシング
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1980年代のボクシングは、ヘビー級ではなく、中量級にスーパースターが集中し、【黄金のミドル】と呼ばれる最盛時代、中でも「ハグラー・デュラン・レナード・ハーンズ」の4人は「ビッグ4」と呼ばれる超スーパースターでした。今回の特集は、この「ビッグ4」ではなくその周辺について探っております。

1980年代【黄金のミドル(中量級)】の周辺⓪

軽量級もすごかった。

1980年代、軽量級にもスーパースターが多数。
80年代前半当時の「パウンド・フォー・パウンド」ナンバーワンと言って過言ではない「ウイルフレド・ゴメス」、そのゴメスを破った「永遠のチャンピオン、サルバドール・サンチェス」、「昭和40年生まれ男」の興味は【黄金のミドル】よりも、軽量級のスーパースターたちでした。
戦績などは、ボクシング選手名鑑 を参考にさせて頂きました。

ウイルフレド・ゴメス

ボクシングマガジン

ゴメスはプエルトリコ出身、1956年生まれ、「黄金のミドル」レナードと同い年。
1972年になんと、15歳で「ミュンヘン・オリンピック」に出場(1回戦負け)。
1974年の第1回【AIBA世界ボクシング選手権(アマチュア)】にて全試合KO勝ちで優勝。その年の11月に18歳でプロデビュー(引分け)。
「プエルトリコの英雄」、「バズーカ砲」と呼ばれる。

20歳、王座獲得。

デビュー戦こそ引き分けだったが、2戦目以降は15戦連続KOで勝ち続ける。
1977年5月21日(20歳)、WBCジュニアフェザー級(今のスーパーバンタム)王座挑戦、廉東均(ヨムドンキュン)を12RTKO勝ちでタイトル獲得。

世界記録の17連続KO防衛!

獲得したWBCジュニア・フェザー級のタイトルは17回防衛、すべてKO勝ち!この記録は、ゴロフキンと並び世界記録となっています。まさしく「KOキング!」です。

17回の防衛の中、
2度目の防衛は、
「ロイヤル小林」戦、1978年1月19日に北九州総合体育館で開催、3R1分25秒KO、日本のヒーローも歯が立ちませんでした。
6度目の防衛は、
1978年10月28日(21歳)、70年代後半のスーパースター「KOキング、カルロス・サラテ」、この時のサラテは、1つ下の階級WBCバンタム級を8回連続KO勝利で防衛中のチャンピオン、戦績が43勝無敗42KO、新旧「KOキング対決」と注目されました。結果は、5RTKOで圧勝。
17度目、
「ルペ・ピントール」、ピントールは、プロデビュー直後の若い頃に同じジムのスーパースター「カルロス・サラテ」のスパーリングパートナーをつとめていた。そのチャンピオンから1979年6月にタイトルを奪取(WBCバンタム級、サラテの10回目の防衛を阻止)、村田英次郎戦は引き分け(村田はその後のタイトル挑戦も引分け)、ハリケーン照は15RKO、等、8度防衛しタイトル返上。階級を上げてゴメスに挑戦。ゴメスは14RTKOで17度目の防衛に成功。後にタイトルを返上。

初黒星。サルバドル。サンチェス戦。

当時は、タイトルを保持したまま階級を変え他の階級のタイトルに挑戦していました。
ゴメスも、13度の防衛を重ねた後にノンタイトル戦をはさみ、1つ上の階級に挑戦します。
1981年8月21日(24歳)、相手は「サルバドル・サンチェス(メキシコ)」、WBCフェザー級を5回防衛中の人気上昇中のメキシコ人ボクサー、試合前の予想ではゴメス有利でしたが8RKO負け、プロデビュー後の初黒星となってしまいました。

ボクシングマガジン

3階級制覇。

1984年3月31日(27歳)、WBCフェザー級王者「ファン・ラポルテ」に挑戦し、2階級制覇に成功。ゴメスにとっての初の判定勝ち。12月、初防衛戦で8RKO負け。
1985年5月19日(28歳)、さらに1階級上げ、WBAジュニアライト級(今のスーパーフェザー)「ロッキー・ロックリッジ」に挑戦し、3階級制覇に成功した。翌年(1986年)初防衛に失敗し王座陥落。

引退。

1988年7月、6RTKO勝ち、1989年7月、2RTKO勝ち。その後試合無く引退。

引退後は、薬物や家庭内暴力などで数回逮捕。激太りの画像を見かけます。
戦績:48戦44勝(42KO)3敗1分、デビュー戦の引分け、サンチェス戦敗戦、2階級・3階級制覇後の初防衛失敗、世界タイトル戦以外では1度も負けなかった伝説のチャンピオン。
一番好きなチャンピオンでした。