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1980年代「黄金のミドル(中量級)」の周辺。⑤「イーストンの暗殺者、ラリー・ホームズ」

ボクシング
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1980年代のボクシングは、ヘビー級ではなく、中量級にスーパースターが集中し、【黄金のミドル】と呼ばれる最盛時代、中でも「ハグラー・デュラン・レナード・ハーンズ」の4人は「ビッグ4」と呼ばれる超スーパースターでした。今回の特集は、この「ビッグ4」ではなくその周辺について探っております。
1980年代【黄金のミドル(中量級)】の周辺⓪

人気が無かったヘビー級チャンピオン。

今回は「ヘビー級・ラリーホームズ」について。
階級が違いますので、もちろん「ビッグ4」と対戦することはありませんが、活躍した同時期に黄金のミドルの熱狂のせいであまり注目されなかった、という点では関係しているかもしれません。

ラリー・ホームズ、ボクシングマガジン

ラリー・ホームズ

タイトル奪取・ボクシングマガジン

「ラリー・ホームズ」は1949年生まれ、モハメド・アリが1942年生まれですので7歳下。アマチュアでオリンピックを目指すが敗れ、1973年、23歳でプロデビュー。
1978年6月9日、27戦無敗のまま、チャンピオン「ケン・ノートン」に挑戦、激戦のうえ15R判定でWBC世界ヘビー級のタイトルを獲得。1984年までにWBCのタイトルを17回防衛し剥奪、以降「IBF」に移り3回防衛、1985年まで無敗で勝ち続けます。
「黄金のミドル」最盛期にまるで脇道を走るようにヘビー級の王座を守り続けていました。

史上最大の過小評価された「ヘビー級チャンピオン」

ホームズの目指したボクシングスタイル、軽快なフットワークにのって鋭いジャブからのワン・ツー、これがかつてスパーリングパートナーをつとめていた「モハメド・アリ」のスタイルに近く、ファンからすると「アリのコピー」という低評価、
真に強い実力者であったからこその「ライバル不在」、
アリの引退後、アリの代わりはヘビー級のホームズではなく、中量級の「シュガー・レイ・レナード」に移り、その中量級にスーパースターが続出。
原因が重なり、不人気で、史上最大の過小評価をされたヘビー級チャンピオンになってしまいました。

VS モハメド・アリ

アリは、1978年2月に「レオン・スピンクス」に敗れ王座陥落した後、9月の再戦で奪還した後に引退。
したはずが、2年後の1980年2月に突然の復帰宣言。そして、10月に「ホームズVSアリ」戦が実現。ただし、この試合は、両者どちらにとっても名試合に数えられるものにはなりませんでした。アリにとって、「やってはいけなかった試合」と酷評されるひどい試合になってしまいました。試合の途中でホームズがストップを望むほどアリの衰えは顕著だった。アリは、サンドバッグのように打たれ続け10R終了時TKO負け。プロ入り後初のKO負け。
この試合までのホームズは「視聴率の稼げないチャンピオン」の烙印を押されファイトマネーも格安だったようだが、この試合は「アリ」という偉大なビッグネームのおかげでファイトマネーは跳ね上がった。ホームズ、8連続KO防衛を達成。

VS ジェリー・クーニー

1982年6月11日、
「世紀の対決」、「無敗同士の激突」、「史上最高の報酬額」、「1960年代以来の白人チャンピオン誕生」等、多くの話題をまいた一戦。プロモーターは「ドン・キング」。
共にファイトマネーは300万ドル、そこにTV放映権の歩合を足すと約1,000万ドルになるという報酬。ラスベガス・シーザースパレスの特設会場に満員の3万2500人を集めて開催。
試合は、徹底した顔面攻撃と足を使ったボクシングのホームズに対し、一発狙いのクーニー、ミスブロー、さらにローブローでの反則減点、そして10回以降のスタミナ切れでの手数の減少と、クーニーの自滅の形での試合展開、13RTKOでホームズの12回目の防衛が成功。

ボクシングマガジン

1983年12月11日、WBCタイトル剥奪?返上?

勝ち続けるホームズは、ドン・キングと金銭面での確執があり、ついには決裂。1983年11月にジョー・フレージャーの息子「マービス・フレージャー」と対戦するが、この試合はキングのライバル「ボブ・アラム」のプロモート。アラムはタイトルマッチにしたく、マービスのランキングを10位以内に押し込もうとするが、WBCと密接な関係を持つキングがそれを阻止。ノンタイトル戦として行われた。試合は、1R2分57秒と早々と終了するが、「アラムVSキング」はまだ続きます。ホームズのファイトマネー270万ドル。
その後、1983年12月11日のWBC総会に要請され出席。ランキング1位の「グレッグ・ペイジ」との指名試合を行うよう指令するWBCに対し、ホームズが拒否、席上で「王座を返上しWBAかIBFで選手生活を続行する」旨を発表。WBCはホームズのタイトルを剥奪した。「IBF」は、この年6月にホームズをチャンピオンとして認定済み。
王座認定団体「IBF」とは?

VS マイケル・スピンクス。プロ入り後初黒星。

「IBF」移籍後のホームズは、1984.11月・1985.3月・5月と3回防衛しデビュー以来負けなしの48連勝。
1985年9月21日、IBFタイトルの4度目の防衛、「ローッキー・マルシアノ」と並ぶ49連勝に挑む戦いの相手は、「マイケル・スピンクス」。
マイケル・スピンクスは、WBA・WBC・IBFの3団体統一のライト・ヘビー級チャンピオン。モハメド・アリを破ってヘビー級チャンピオンになった「レオン・スピンクス」の弟。モントリオールオリンピック・ミドル級の金メダリスト。
試合前の賭け率は6対1と圧倒的にホームズ有利、身長はともに190cm、体重はホームズ100kg・スピンクス90kg、ホームズ35歳・スピンクス28歳。
打撃戦で決着をつけたかったホームズだったが、スピンクスのスピードに逃げられ、眩惑され続け、ペースを取り戻せないまま試合終了。僅差ではあるが3-0の判定負け、プロ入り後の初黒星となってしまった。
スピンクスは、ライトヘビー級チャンピオン初のヘビー級チャンピオンに、ホームズは引退をほのめかす。

ボクシングマガジン

1986年4月19日、ラスベガスでこの二人の再戦が行われます。前回の対戦同様に足を使うスピンクスが前半はほとんどパンチを出さずに様子見、中盤からポイントを貯め進める、が、この試合は終盤14回ホームズの右が炸裂、追撃の連打の中でパンチがクリーンヒット、しかし倒せずに逆襲されてしまう。最終15回にもスピンクスの膝を揺らすパンチをヒットさせるがホームズには時間も余力も無くタイムアップ。判定は1-2の接戦だが返り討ちにあってしまう。ホームズ36歳・・・。何度も引退の話題になるが、まだまだ続きます。

VS マイク・タイソン

ホームズ39歳、もう一度世界一の座を求めることに。
1980年に自らのヒーロー「モハメド・アリ」を残酷なまでに打ち続けたように、今度は自分が同じ目に遭うであろう。対戦が決まった直後からそのように囁かれ、試合前から「9分9厘タイソンはホームズをKOする」と語られます。
1988年1月22日、17歳も年下の怖れを知らない若者「マイク・タイソン」との試合は、大方の予想通り、アリと同じ運命をたどり、4R2分55秒に3度倒され敗れ去ることに。スピードでもパワーでもタイソンに圧倒され、時代の移り変わりを強調されたKO負けとなってしまった。・・・ところが、ホームズはまだまだ引退しません。

2002年、52歳、最終戦勝利して引退。

何度も何度も引退をしたはずのホームズ、タイソン戦敗退後、24戦21勝3敗、2002年7月、53歳になる目前に最後となる試合に10R判定勝ちします。
とんでもない男です。