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1980年代「黄金のミドル(中量級)」の周辺。⑧日本のプロボクシングは冬の時代。

ボクシング
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1980年代のボクシングは、ヘビー級ではなく、中量級にスーパースターが集中し、【黄金のミドル】と呼ばれる最盛時代、中でも「ハグラー・デュラン・レナード・ハーンズ」の4人は「ビッグ4」と呼ばれる超スーパースターでした。今回の特集は、この「ビッグ4」ではなくその周辺について探っております。

1980年代【黄金のミドル(中量級)】の周辺⓪

70年代後半は「具志堅用高」一人の時代。

1976年10月10日にWBAジュニアフライ級のタイトルを獲得した「具志堅用高」が70年代後半の日本ボクシング界をほぼ一人で引っ張り、1981年3月8日に敗れるまでの約5年半のあいだ13回の防衛を重ね一時代を築いた。「13回防衛」は未だ抜かれることのない偉大な記録となっています。
【具志堅用高】1955(昭和30)年6月26日生。通算戦績=24戦23勝(15KO)1敗。プロデビュー後9戦目にタイトル獲得。

ボクシングマガジン

1980年代、3回以上防衛は「渡嘉敷」と「渡辺二郎」。

1980年代に防衛回数を積み上げた世界チャンピオンは数少ない。
3回以上の防衛を成功させたのは「渡嘉敷勝男」と「渡辺二郎」のふたりしかいません。この二人、「お笑いタレント」と「反社」と引退後はそれぞれに特異な道を歩み有名人となっています。
【渡嘉敷勝男】1960年7月生。具志堅が所属した協栄ジムに入門。1981年12月、具志堅が失った「WBAジュニアフライ級」タイトルをその年12月に奪い返し、5回防衛。通算成績=25戦19勝(4KO)4敗2分。引退後は、テレビタレントとして活躍(ボクサーならではの「おバカタレント」でした)、ボクシングジム開設、現在、元世界チャンピオンの畑山と竹原の3人でユーチューブ「渡嘉敷勝男&竹原慎二&畑山隆則 公式チャンネル」やっています。
【渡辺二郎】1955年3月生。具志堅の一学年上だったんですね、大学時代には「日本拳法」世界4位。1979年3月、24歳でプロデビュー、1981年4月の初挑戦は敗退、翌1982年4月WBAジュニアバンタム級タイトル獲得。6度防衛後、1984年7月WBCチャンピオンとの統一戦を試みるがWBAに認められずにWBAのタイトルを剥奪される。試合には勝ちWBCのタイトルを獲得し4度防衛、1986年3月5度目の防衛戦で敗れ王座陥落。引退表明は1994年。通算戦績=28戦26勝(17KO)2敗。

冬の時代。

具志堅の王座陥落以降、スーパースターが現れません。世界チャンピオンが誕生するもいずれも短命で終わってしまいます。

中島成雄 1980.1.3-1980.3.24 WBCジュニアフライ 防衛0
上原康恒 1980.8.2-1981.4.9  WBAジュニアライト 防衛①
三原 正 1981.11.7-1982.2.2 WBAジュニアミドル 防衛0
友利 正 1982.4.13-1982.7.20 WBCジュニアフライ 防衛0
小林光二 1984.1.18-1985.4.9 WBCフライ 防衛0
新垣 諭 1984.4.15-1985.4.26 IBFバンタム 防衛①
浜田剛史 1986.7.24-1987.7.12 WBCジュニアウエルター 防衛①
六車卓也 1987.3.29-1987.5.24 WBAバンタム 防衛0
井岡弘樹 1987.10.18-1988.11.13 WBCストロー級 防衛②

※渡嘉敷・渡辺は前記の通り。
※階級の呼び名は当時のもの。
※新垣の「IBFタイトル」は当時の「JBC」では認められていなかった。
※井岡は1991年、WBAジュニアフライ級で二階級制覇、2度防衛。

勝手に選出、80年代のスーパースターたち。

ボクシングマガジン

【村田英次郎】1980年6月「ルペ・ピントール」と1981年4月「ジェフ・チャンドラー」と2人のスーパーチャンピオンに挑戦し2戦連続で引き分けた悲運のボクサー。相手が違えば間違いなく世界を獲っていたと思われる私にとって一番のスーパースター。1956年11月30日生まれ。15歳で下北沢の金子ジムに入門。アマチュアでオリンピックを目指すが、予選で敗れて代表入りならず。アマチュア戦績78勝10敗。1978年12月、東洋太平洋バンタム級タイトル獲得し1983年6月まで12回防衛。通算戦績=29戦24勝(15KO)2敗3分。
【赤井英和】インターハイ優勝、近畿大学でオリンピックを目指したが「モスクワオリンピックボイコット」により断念、1980年9月に学生プロボクサーとしてデビュー。4戦目で日本タイトル獲得。連続ノックアウト勝ちと試合後のインタビューコメントで注目を集め「浪速のロッキー」として人気上昇。1983年には世界タイトルに挑戦するが敗退。再挑戦に向け5連勝後の1985年2月の「大和田正春」戦で7RKO負け後に意識不明の重体に。命も危ぶまれた衝撃的なニュースでした。その後医師からの引退勧告により引退。通算戦績=21戦19勝(16KO)2敗。現在はご存知の通り、テレビ等で大活躍。
【スパイダー根本】「福島いわき」出身。155cmの低身長でずんぐりむっくりという体型。世界戦は2度挑戦し2度とも失敗、「ロイヤル小林」の東洋太平洋のタイトル挑戦も叶わなかったが国内では無敵。フェザー級の日本タイトルを2度獲得、最初のタイトルを13回防衛(1977.9-1982.1月)、1982.1月に負けた相手とのリターンマッチで奪回、その防衛戦に判定勝ち後、チャンピオンのまま引退。通算戦績=55戦43勝(12KO)10敗2分。
【亀田昭雄】「200年に一人の天才」1956年生まれ。1977年プロデビュー、1978年4月、7戦目で日本ウエルター級のタイトルを獲得し8度防衛。17戦全勝で1982年7月にジュニアウエルター級でWBAチャンピオンの「アーロン・プライヤー」に挑戦するも6RTKO負け。(プライヤーはこの次の試合でアルゲリョと対戦し勝利。)世界戦敗戦後に、ジュニアウエルター級の日本王者に復帰(階級下げての二階級制覇)し5度防衛。その後、東洋太平洋タイトルに2回挑戦し2回ともKO負け。1986年7月、IBF世界タイトルに挑戦に失敗し引退。通算戦績=31戦27勝(21KO)4敗。
【辰吉丈一郎】1970年5月生まれ。アマチュア通算成績は19戦18勝(18KO)1敗。勝ち試合すべてKO勝ちと強さが際立ち、プロデビュー戦は日本ランカー全てにオファーを出すが全部断られたらしい。1989年9月29日、韓国のランカーに2RKO勝ち。・・・辰吉の活躍は1990年代へ。

まとめ

日本と世界を比べるとさすがに華々しさではかないません。が、いつの時代も日本には日本の美しさが存在します。