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1980年代【黄金のミドル(中量級)】の周辺④「ニカラグアの貴公子、アレクシス・アルゲリョ」前編

アルゲリョ ボクシング
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1980年代のボクシングは、ヘビー級ではなく、中量級にスーパースターが集中し、【黄金のミドル】と呼ばれる最盛時代、中でも「ハグラー・デュラン・レナード・ハーンズ」の4人は「ビッグ4」と呼ばれる超スーパースターでした。今回の特集は、この「ビッグ4」ではなくその周辺について探っております。
1980年代【黄金のミドル(中量級)】の周辺⓪

ニカラグアの英雄。

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「アレクシス・アルゲリョ」は、1952年ニカラグア生まれ、1968年に16歳でプロデビュー。戦績85戦77勝8敗、3階級を制覇した「ニカラグアの英雄」、スーパースターです。
その長身・小顔・イケメンという端正な容姿、紳士的なふるまいから「ニカラグアの貴公子」とも呼ばれていました。

「ニカラグア」はあまり馴染みのない国です。「アルゲリョ」しか連想できません。第一次産業主体であまり裕福な経済状態ではないようです。地図を眺めて想像すると海岸線はキレイでしょうね。
「ウィキ」によると、ニカラグア出身の著名者として、ミック・ジャガーの最初の奥さん「ビアンカ・ジャガー」と「アルゲリョ」の二人が挙げられていました。

全盛期は、1974-1982年。

初タイトルから、4階級めの挑戦までの期間は、1974年から1982年、黄金のミドルの「ビッグ4」戦国時代の最盛期より少し早く、階級も軽いクラスでの(フェザーからライト級)活躍でした。
ただし、「ビッグ4」のロベルト・デュランが、ライト級の王座に君臨していたのが、1972年から1978年、もし、デュラン対アルゲリョ戦が実現していたらまさに夢の対戦、二人ともが全盛期での戦いになりますので、大いに盛り上がったことでしょう。この対戦は話題になり期待されましたが、残念ながら実現に至ることはありませんでした。

アルゲリョの戦績につきましては、今回も、「ボクシング名鑑」様のデータを参考にさせて頂きました。大変感謝いたします。

3階級制覇

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現在は、階級も団体も増えて5階級・6階級制覇も珍しくなくなっていますが、当時の「3階級制覇」はとても異例、今と比べたら抜群に価値のある複数階級制覇です。
アルゲリョの3階級制覇は1981年6月、その前月(5月)に「ウイルフレド・ベニテス」も3階級制覇、この二人の「3階級制覇」は「ヘンリー・アームストロング」が達成して以来の実に43年ぶりの誕生です。それまでの達成者は4人。

1980年代【黄金のミドル(中量級)】の周辺②「早熟の天才・ウイルフレド・ベニテス」前編

1980年代【黄金のミドル(中量級)】の周辺②「早熟の天才・ウイルフレド・ベニテス」後編

初タイトル(WBAフェザー級)

アルゲリョの初タイトルは、WBA世界フェザー級。プロデビュー6年め、40戦目です。
1974年11月23日、ルーベン・オリバレス(メキシコ)から奪取。
※その9か月前に「エルネスト・マルセル(パナマ)」に初挑戦し15R判定負けしていました。
1975.3.15、VS レオネル・エルナンデス(ベネズエラ)8RTKO、防衛①
1975.5.31、VS リゴベルコ・リアスコ(パナマ)2RTKO、防衛②
1975.10.12、VS ロイヤル小林(国際ジム)2RKO、防衛③
※アルゲリョ唯一の日本人との対戦。「ロイヤル小林」は初の世界タイトル挑戦。相手が悪すぎた?打たせずに打つというアルゲリョの技術と強打に太刀打ちできず、ボディブローでのKO負けでした。
この後ノンタイトル戦3戦3勝。
1976.6.19、VS サルバドル・トーレス(メキシコ)3RKO、防衛④ 後に返上。

2冠め(WBC世界ジュニアライト級)

フェザー級のタイトルを4回防衛後に減量苦のため返上、返上後1977.2月から12月の間にノンタイトル7戦7勝。
1978.1.28、WBCジュニアライト級を10回防衛中のチャンピオン「アルフレド・エスカレラ(プエルトリコ)」に挑戦し、13RTKOで下し、2階級制覇達成。アルフレド・エスカレラは、1975年に「柴田国明」からタイトルを奪取、日本人「バズゾー山辺」が2回挑戦し敗退しています。(バズゾー山辺は1977年「エステバン・デ・ヘスス」にも挑戦するも敗れ、世界挑戦3戦全敗)
3.25ノンタイトル戦 3RTKO勝。
1978.4.29、VS レイ・タム(フィリピン)5RTKO、防衛①
1978.6.3、VS ディエゴ・アルカラ(パナマ)1RKO、防衛②
翌7月のノンタイトル戦で10R判定負け。
1978.11.10、VS アルトウーロ・レオン(アメリカ)15R判定、防衛③
1979.2.4、VS 元チャンピオン「アルフレド・エスカレラ」13RTKO、防衛④
1979.7.8、VS ラファエル・リモン(メキシコ)11RTKO、防衛⑤
1979.11.16、VS ボビー・チャコン(アメリカ)7RTKO、防衛⑥
1980.1.20、VS ルーベン・カスティーヨ(アメリカ)11RTKO、防衛⑦
3月にノンタイトル戦判定勝。
1980.4.27、VS ローランド・ナバレッテ(フィリピン)4RTKO、防衛⑧ のちに返上。

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ジュニアライト級での防衛戦8試合中7戦がKO勝ち。この時期にデュランとの対戦が組まれていてほしかった!

史上6人めの3階級制覇(WBC世界ライト級)

WBC世界ジュニアライト級タイトルを8度防衛後に返上。またも減量苦のためでした。返上後に1980年8月・11月、1981年2月にノンタイトル3戦3勝後、
1981年6月20日、WBC世界ライト級チャンピオンの「ジム・ワット」に挑戦、15R判定で3つめのタイトルを獲得。5月のベニテスに続く6人目の「3階級制覇」の達成です。
ワットは他の挑戦者を相手に防衛回数を積み上げたかったのでしょうが、この試合はWBCからの命令(指名試合?)。ファイトマネーは(当時)英国プロボクシング史上最高額、75万ドル、ちなみに挑戦者アルゲリョのファイトマネーは28万ドルだったようです。
試合終了後には、統一戦や4階級めの挑戦が噂されます。(相手はWBCのソウル・マンビー)ジム・ワットは、この試合を最後に引退。

EPSON MFP image

1981.10.3、VS レイ・マンシーニ(アメリカ)14RTKO、防衛①
1981.11.21、VS ロベルト・エリソンド(アメリカ)7RKO、防衛②
1982.2.13、VS ジェームズ・グシューム(アメリカ)6RTKO、防衛③
1982.5.22、VS アンディ・ガニガン(アメリカ)5RKO、防衛④ のちに返上。
ライト級での防衛戦はすべてKO。
この頃には「黄金のミドル・ビッグ4」が出揃い、スーパースター化し、ボクシングファンが熱狂していました。

返上後、1982.7.31 ノンタイトル戦、2RKO勝ち。

前編はここまで。
後編はこちらから。